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平成19年
「藍」によせて 城東17回 横井忠雄
何せ小学校時代からの大の作文嫌い読み辛い点は御容赦願います。
航空会社に職を得て37年間その責務を全うし、晴れて定 年退職、 現役時体験した四方山話を披露させていただきます。
まずは読み飛ばして戴きたい経歴など、1971年1月入社、東京、仙台、加州サンディエゴ近郊にて2年半の基礎訓練の後 、DC-8のセカンドオフィサー(第3の乗員)としてチェックアウト、B747(通称ジャンボ)に移行、都合4年間第3の乗員として過ごし、約1年間の訓練を経て、B747F/Oファーストオフィサー(副操縦士)として乗務開始、12年余りF/Oを勤め上げ1988年機長国家資格取得、3年後にB747-400所謂ハイテクジャンボに移り現在に至る。車と違い機種毎の国家資格を必要とし 移行の度毎に8ヶ月から1年の訓練を要します。又、資格維持の為に毎年2回の審査、3回のトレーニング、2回の身体検査、4回の座学等ボケる暇もありません。
B747のF/O時代、天皇在位60周年記念コイン用金塊をそれとは知らず大阪造幣局へ送るため、米国アンカレッジより成田迄坦務、到着後数台のパトカーと警官に機をとり囲まれ、降機後金塊と知る。当時の貨物輸送明細には、Valuable goodsとしか記されておらず、後にして思えば、途中持ち逃げすれば今頃悠々自適な生活を営めたのにと後悔(当時南米の絵画美術品等満載の貨物機行方不明事件あり)。
B747ー400機長昇格後、ベルギー国王夫妻来日時、成田到着後、通常移用しないハンガー(格納庫)前に駐機、タラップと歩経路に赤絨毯が敷き詰められ、その上を優雅に迎えのヘリコプターへ移動して戴き、素早く絨毯が巻き取られ、迎賓館へ向けヘリ離陸後VIP搭乗と降機遅れへのお詫びをアナウンス、この様に要人搭乗時には到着まで極秘裡に執り行われます。
又、仏大統領とH首相の間にとり交わされた、国宝級美術品交換時ご記憶の方も多いと思いますが、仏からは「自由の女神」の原型と絵画「民衆を率いる自由の女神」が、日本からは門外不出の国宝「百済観音」がS大統領たっての希望でルーブル美術館に展示され ることになり、当時の法隆寺管長と共に、関西空港よりパリ迄の搬送を担い、忘れもしない到着直前、英国皇太子妃の事故が起こり、観音様の到着がもう少し早ければ御加護を受けられたかもと悔やまれました。
スペインの有名なリアルマドリード一行搭乗時、私達の少年時代は野球全盛でサッカーなど全く興味が無く育った為、司令塔フィーゴのサインとチームの旗等ギブアウェイを頂戴しましたが、サッカーフリークの甥の友人に贈呈してしまい、「なんでも鑑定団」の評価を聞き損ねたなと今となれば後悔することしきり。日本の代表メンバーをチャーター便にてウズベキスタンのタシケントへ迎えに行った帰り、最後の数分でゴールを決められてしまったKゴールキーパーは、直行ができない為モスクワ上空経由で10時間のフライトの間中2階席最前列で悲嘆にくれており、彼のやさしさを垣間見た気がしました。沈着冷静なMF M氏フライト中読書に浸り、勉強家の一面を見せ、FWD J氏等とは楽しく歓談できました。従って、この1997年の日本代表チームのほぼ全員のサインは過去の失敗を踏まえ今も大切に保管しています。
2007年度ボジョレヌーボーチャーター便の内、最後の直行便では4万本、皆様のお口に入ったかも知れません。ワインを傾けながら空にも想いを馳せて戴きたいと思います。
現在私は、昨年定年退職し、特別運行乗務員、所謂嘱託として、空の上で皆様にお目にかかれるその日を楽しみにフライトを続けております。
最後に、渭山同窓生唯一の後輩21回生宇野元君が残念ながら志半ばにして逝去されたことを併せてご報告させて戴きます。 ”合掌”
会計について 城東24回 栗田宏美
私が東京支部の同窓会に始めて参加したのは、大学生の時でした。
母が徳島の同窓会の役員をしていた関係で出席せざるをえなかったためです。
その後、母が出てこなくなっても私はなるべく出席するようにしていました。最初の頃は大半が「徳女」の方達でしたが次第に「城東」の比率が上がってきて現在はほとんどが「城東」です。
四年ほど前から会計をやるようになりましたが不況の中、金利も低く、貯蓄を取り崩しながらの運営でした。
残念なことに、年会費は未だに「徳女」の方たちにかなり依存しています。
「九十歳を過ぎ郵便局に行くのもたいへんで振込みが遅くなって申し訳ありません」などと通信欄に書いていただいたものを見ると本当に申し訳なく思います。
しかしながらこうしたご尽力にもかかわらず年会費の納入は年々少なくなっています。個人情報保護の観点から、若い卒業生の名簿が入手できないのも原因のひとつです。
こうした状況を少しでも改善していかなければ数年で破綻してしまいます。
改善策のひとつとして
「城東渭山同窓会東京支部」のホームページに広告を出すスポンサーを募り「ホームページの維持・管理費」をまかなうようにしました。小さいもので5千円ですが、今後スポンサーが増えることを期待しています。
そして、もうひとつは
「年会費の値上げ」です。節約には努めていますが、郵便局の振込み手数料の値上げもありこのままの年会費では非常に不安な状態です。
心苦しいのですが今回より500円の値上げで、1500円にさせていただきます。
現状をご理解いただき、お一人でも多く年会費をご納入いただきますよう、お願いいたします。
アウトドアライフ
城東26回 加藤(旧姓野間)信子
徳島県の鳴門で生まれ育ち城東高校を卒業。大学も就職もそして結婚後も徳島で住み続けていた私が夫の仕事の関係で東京の江戸川で暮らして2年余りになりました。転居した頃は知らない場所での生活に心細い思いをしていましたが、東京在住の同級生の皆さんから声をかけて頂きとてもありがたかったです。
さて、私のアウトドアライフはボーイスカウト出身でアウトドアが大好きな夫と結婚した事から始まりました。初めての海部川での川原のキャンプはゴロゴロした石の上で一睡もできず、スコップで穴を掘っただけのトイレは足元がどんどん崩れていくし。次の山のキャンプでも曲がりくねった山道で車に酔い、夜は寒さで眠れず、私にとっては散々なものでした。
それが慣れとは恐ろしいもので、20数年経つうちにいつの間にか自然の中での楽しみ方を知るようになりキャンプが楽しいと思えるようになったのです。(それはひとえに自分の忍耐の賜物であると言う誰かの声が聞こえてきそうですが。)
子供が小学生になった頃から徳島県内を始め、西は鳥取県の大山から東は新潟県の妙高高原まで数々キャンプの思い出はありますが、わが家の一番人気は地元徳島県那賀郡那賀町(旧木沢村)の「ファガスの森」です。徳島市から車で約2時間。国道193号の土須峠を越え剣山スーパー林道に入って約7キロ。徳島・高知両県に広がる剣山国定公園内にあります。「ファガス」は一帯に広がる原生林のブナの学術名だとか。
1994年から台風の被害でスーパー林道が一時通れなくなる前年の2004年まで、毎年わが家のキャンプ始めは5月の連休のファガスの森からでした。5月の初め、徳島市内は街路樹のツツジが満開で初夏の気候ですが、標高1300メートルの山の中はまさに冬から春へ変わる芽吹きの季節です。樹齢数百年とも言われるブナを始め、木々と言う木々が柔らかな黄緑色の新芽を付けて目に優しく、足下は秋に降り積もった落ち葉でふかふかです。一番多い時には総勢30人でキャンプをした事がありましたが、子供達の楽しみは池の中のカエルの卵や小川でのサンショウウオ捜しやタラの芽取りなど、山野を駆け回って退屈する暇はありません。その傍らで大人達はゆったりとした時間を楽しみながら、みんなで餃子を山のように作ったり、野草の天ぷらに舌鼓を打ったり、時には焚き火を囲んでワインを傾けたり、飽きるまで星を眺めたり。子供にも大人にも心地良い優しい時間が流れます。さすがに朝晩は冷えて寒さに弱い私などは着ぶくれただるまさん状態になりますが、手がしびれるような冷たさや雨や夜中に山から吹き下ろす大風がそれ程苦にならずに毎年毎年出かけて行きたくなるのは、深い深い森の中で自然に抱かれている安心感のせいではないかと思います。
離れてますます徳島が好きになりました。
故郷徳島を思い出される時には、是非その豊かな自然の風景にも思いを馳せて頂ければと思います。
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『JOTO26BAND徳島公演』
26回 秋田(旧姓泊)ゆう子
2007年2月11日、JOTO26BAND3回目のライブがBELL’S(栄町、言問ビル4F)で行われました。
バンドは、2006年1月2日、26期生の同窓会で、当時の曲を歌うという企画のもとに、結成されました。最初は、司会の2名を含め、10名でのスタート。メンバーの職業も公務員、教員、医者、建築士、経営者、会社員、主婦等様々なら、音楽の経歴も、ライブに忙しいドラマー、クラシック畑のベーシスト、そうかと思えば、昔取った杵柄で久しぶりに楽器を手にする者など、多士済々の面々。多忙なメンバーが、個人練習、長時間の全体練習に時間を割き、臨んだ同窓会では、大評判に。
これを1回きりで終わらせる手はないと、昨年5月13日、ドラマーの本拠地大阪で2回目のライブが行われ、これまた大盛況。
終わったらすぐ次を考えるのがこのバンドの凄いところ。自薦他薦で同窓生をスカウトし、夏には淡路島で、本格的なバンド合宿も。かくして、メンバーはスタッフ含め20名もの大所帯。9月には会場も決定し、着々と2月11日に焦点を合わせてきました。
ライブは午後2時からの開演にもかかわらず、1時過ぎにはぎっしり満員に。110名以上の方にご来場いただき、会場は熱気に包まれました。
懐かしい阿波弁のMCの曲紹介に乗り、一部、二部とも大盛り上がり。
*時代 *Yesterday Once More *なごり雪 *亜麻色の髪の乙女 *青春の影 *Tennessee Waltz *悲しくてやりきれない *落陽 等々、全17曲。最後は全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」を大合唱。ご招待の亀井現校長先生、浅香前々校長先生にも、最後まで楽しんでいただきました。
手作りライブということで、チラシ、チケット、歌詞カードも自分たちで印刷し、会場の
飲み物、食べ物も買い出しから、盛りつけ、ドリンク作りまで全て自前で。多くの方と楽しい時間を共有できたことがメンバー一同大きな糧となりました。
徳島公演が終わった今、目指すは東京公演か?と目論んでいます。とはいえ、自分たちが楽しむためにやる、出演料はもらわない、ライブの次の日は休みであること、などの条件をクリアするのも大変なこと。でも必ず実現するはずの東京公演、そのときは
東京支部の皆様、よろしく応援お願いいたします。
『和歌の世界に魅せられて』
城東29回(昭和53年卒) 近藤(谷)知子
城東高校を卒業して早くも30年の年月がたちました。城東高校は、母、兄の母校でもあり、今は姪が通っています。ブレザーとジャンパースカートだった制服も、おしゃれなイマドキの服に様変わりしたようで、ちょっと寂しい気もします。
私は、在学中理科系のクラスにいたのに、なぜか文学部に進学したという変り種です。その後、大学院の修士・博士課程に進み、現在は横浜にあるフェリス女学院大学の教員をしています。フェリスは、横浜の緑園都市にキャンパスがあります。美しい町ですが、まだまだ至る所に自然が残っていて、先日などはキャンパス内にタヌキが現れ、大騒動となりました。無事保護されたタヌキは、一日だけ学内で大切に保護され、翌日にはズーラシアへと引き取られていきました。同僚には、城東高校の後輩もいるのですよ。
私の研究分野は、中世の和歌です。新古今集が生まれた時代を中心として、文学と歴史の融合領域を研究しています。2006年5月には、角川書店から『和歌文学の基礎知識』という、和歌の入門書を出版しました(仕事上は、旧姓の谷知子を使っています)。書店で買えますので、是非読んでみてくださいね。勤務校の大学以外にも、朝日カルチャー横浜校(ルミネ8階)で月2回講義をしたり、一般の方々に和歌の楽しさ、面白さをお話しする機会も持つようにしています。女子大生に囲まれる日々とは、一味違う楽しいひとときを過ごしています。そんなこんなで、高校卒業以来、和歌の魅力にとらわれた30年だったのかもしれません。
今年の6月に催される城東高校同窓会東京支部の総会で、こうした専門のお話をさせていただくことになりました。和歌や天皇のお話、阿波国と和歌の関わりなど、私の専門から楽しくお話できれば、と思います。是非、お越しください。